第一次中東戦争
第一次中東戦争とは、1948年から1949年にかけて行われたアラブ諸国とイスラエルとの戦争のことである。パレスチナ戦争ともいう。イスラエル側の呼称は「独立戦争」で、アラブ側の呼称は「アル・ナクバ(大災害)」である。イスラエルはこの戦争に勝利し、独立国としての地位を固めた。
拡大地図を表示
イギリス軍がパレスチナを撤退する1948年5月14日に、ユダヤ国民評議会はテルアビブにおいてイスラエル国の独立宣言を行った。そしてこの日、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトの5ヶ国は戦争を宣言した。連合軍は翌15日にパレスチナに侵攻し、第一次中東戦争が勃発した。アラブ側兵力は15万人、対してユダヤ人は民兵合計3万人という圧倒的な差であった。
5月18日にヨルダン軍がエルサレムを包囲、28日には旧市街のユダヤ人防衛部隊が降伏した。
しかし、エルサレム新市街はイスラエルが保持し続け、テルアビブの支持もあり徹底抗戦を行っていた。そこへの補給をめぐり、ラトルン要塞などで激戦が行われた。結局要塞はアラブ側が保持したものの、6月にイスラエルは迂回路を設定しエルサレム新市街への補給に成功する。
ここで国連が停戦を呼びかける国連決議を可決、双方はこれを受け入れ6月11日より4週間の休戦となった。
停戦終了の7月9日、イスラエル国防軍はアラブ軍へ反抗を開始、戦闘が再開された。これに対し国連は再び停戦決議を可決、7月18日より第二次休戦が行われた。しかしこの停戦はすぐに小競り合いをきっかけに消滅し、全面的な戦闘が再開された。
1948年12月にイスラエル軍は南部ネゲブ砂漠で攻勢に出て一時シナイ半島に侵攻したが、ここでエジプトを影響圏としていたイギリスの警告を受けてそこより撤退した。
1949年1月から戦争に疲弊した各国は停戦交渉を開始し、2月23日にイスラエルとエジプトの停戦協定が結ばれたのを始めとして、7月までに各国と停戦協定が結ばれた。
拡大地図を表示
イギリス軍がパレスチナを撤退する1948年5月14日に、ユダヤ国民評議会はテルアビブにおいてイスラエル国の独立宣言を行った。そしてこの日、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトの5ヶ国は戦争を宣言した。連合軍は翌15日にパレスチナに侵攻し、第一次中東戦争が勃発した。アラブ側兵力は15万人、対してユダヤ人は民兵合計3万人という圧倒的な差であった。
5月18日にヨルダン軍がエルサレムを包囲、28日には旧市街のユダヤ人防衛部隊が降伏した。
しかし、エルサレム新市街はイスラエルが保持し続け、テルアビブの支持もあり徹底抗戦を行っていた。そこへの補給をめぐり、ラトルン要塞などで激戦が行われた。結局要塞はアラブ側が保持したものの、6月にイスラエルは迂回路を設定しエルサレム新市街への補給に成功する。
ここで国連が停戦を呼びかける国連決議を可決、双方はこれを受け入れ6月11日より4週間の休戦となった。
停戦終了の7月9日、イスラエル国防軍はアラブ軍へ反抗を開始、戦闘が再開された。これに対し国連は再び停戦決議を可決、7月18日より第二次休戦が行われた。しかしこの停戦はすぐに小競り合いをきっかけに消滅し、全面的な戦闘が再開された。
1948年12月にイスラエル軍は南部ネゲブ砂漠で攻勢に出て一時シナイ半島に侵攻したが、ここでエジプトを影響圏としていたイギリスの警告を受けてそこより撤退した。
1949年1月から戦争に疲弊した各国は停戦交渉を開始し、2月23日にイスラエルとエジプトの停戦協定が結ばれたのを始めとして、7月までに各国と停戦協定が結ばれた。