インダス文明
インダス文明 は、インド・パキスタンのインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明で、現在南インドを中心に暮らしているドラヴィダ人によりつくられたと推定されている。考古学上は、ハラッパー文化と呼ばれ、パキスタン、パンジャブ州のハラッパーを標式遺跡とする。
拡大地図を表示
インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間である。滅亡については諸説あり、現在では、地殻変動によってインダス川河口付近の土地が隆起し、そのために洪水が頻発して耕地に塩害をもたらし、さらにインダス川の河道が移動したことによって、水上交通を前提とした貿易によって機能していた都市の機能を麻痺させたためという説と、後述するように砂漠化に伴って都市が放棄され住民が移住したという説がある。
都市の規模は、メソポタミアのものよりも小さく、モヘンジョ=ダロとハラッパーがメソポタミアの小都市にようやく匹敵する規模であった。
モヘンジョ=ダロ
都市遺跡からは、多くの「インダス式印章」が出土する。凍石製で、印面は、3?4cmの方形で、インダス文字とともに動物などが刻まれている。動物は、サイ、象、虎などの動物のほかに後のインドの文化にとって重要な動物である牛が刻まれているのが目立つ。一方で、一角獣など架空の動物が刻まれたり、「シヴァ神」の祖形と思われる神などが刻まれていることもある。商取引に使用されたと考えられ、メソポタミアの遺跡からもこのような印章の出土例がある。
インダス川の氾濫による肥沃な土壌を利用した氾濫農耕を行った。河川から離れた地域では、地形を利用した一種の「せき」を築き、そこへ雨期の増水を流し込み、沈澱させた土壌を用いて農耕をしていたと推察される。また、牧畜を行った。
Indus Valley Civilization on walls
排水溝設備の整った碁盤目状に街路が走る計画都市であって、ダストシュートや一種の水洗トイレなどが設けられた清潔な都市だったのではないかと推定されている。
土器やビーズなどの主だった出土品に見られる均質性の一方で、信仰や儀礼のあり方が地方によって異なる面がある。
モヘンジョダロの「城塞」には、しばしば、「大浴場」と呼ばれるプール状施設があり、豊饒と再生を祈念する儀礼が行われた沐浴場と考えられている。一方で、北方のパンジャブ州に近いカーリバンガンのように、「城塞」の南区や「市街地」の東側の遺丘の上で、独特な「火の祭祀」を行っていたと思われる遺跡もあり、シンド州の遺跡やモヘンジョダロで見られるような再生増殖の儀礼と関係すると考えられるテラコッタ女性像やリンガ石と呼ばれる石製品が出土しない。
また、南方のロータルを含むグジャラートでは、「火の祭祀」とテラコッタ女性像に象徴される再生増殖儀礼の両方の要素が見られるなどの違いが見られるため、インダス文明の構造や性格を解明する上で大きな課題となっている。
拡大地図を表示
インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間である。滅亡については諸説あり、現在では、地殻変動によってインダス川河口付近の土地が隆起し、そのために洪水が頻発して耕地に塩害をもたらし、さらにインダス川の河道が移動したことによって、水上交通を前提とした貿易によって機能していた都市の機能を麻痺させたためという説と、後述するように砂漠化に伴って都市が放棄され住民が移住したという説がある。
都市の規模は、メソポタミアのものよりも小さく、モヘンジョ=ダロとハラッパーがメソポタミアの小都市にようやく匹敵する規模であった。
モヘンジョ=ダロ
都市遺跡からは、多くの「インダス式印章」が出土する。凍石製で、印面は、3?4cmの方形で、インダス文字とともに動物などが刻まれている。動物は、サイ、象、虎などの動物のほかに後のインドの文化にとって重要な動物である牛が刻まれているのが目立つ。一方で、一角獣など架空の動物が刻まれたり、「シヴァ神」の祖形と思われる神などが刻まれていることもある。商取引に使用されたと考えられ、メソポタミアの遺跡からもこのような印章の出土例がある。
インダス川の氾濫による肥沃な土壌を利用した氾濫農耕を行った。河川から離れた地域では、地形を利用した一種の「せき」を築き、そこへ雨期の増水を流し込み、沈澱させた土壌を用いて農耕をしていたと推察される。また、牧畜を行った。
Indus Valley Civilization on walls
排水溝設備の整った碁盤目状に街路が走る計画都市であって、ダストシュートや一種の水洗トイレなどが設けられた清潔な都市だったのではないかと推定されている。
土器やビーズなどの主だった出土品に見られる均質性の一方で、信仰や儀礼のあり方が地方によって異なる面がある。
モヘンジョダロの「城塞」には、しばしば、「大浴場」と呼ばれるプール状施設があり、豊饒と再生を祈念する儀礼が行われた沐浴場と考えられている。一方で、北方のパンジャブ州に近いカーリバンガンのように、「城塞」の南区や「市街地」の東側の遺丘の上で、独特な「火の祭祀」を行っていたと思われる遺跡もあり、シンド州の遺跡やモヘンジョダロで見られるような再生増殖の儀礼と関係すると考えられるテラコッタ女性像やリンガ石と呼ばれる石製品が出土しない。
また、南方のロータルを含むグジャラートでは、「火の祭祀」とテラコッタ女性像に象徴される再生増殖儀礼の両方の要素が見られるなどの違いが見られるため、インダス文明の構造や性格を解明する上で大きな課題となっている。
メソポタミア文明
メソポタミアはギリシャ語で「複数の河の間」の意味。メソポタミアは、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野であり、過去のペルシアの一部、現在のイラクにあたる。メソポタミア文明はメソポタミアに生まれた文明を総称する呼び名で、世界最古の文明であると言われていた。文明の初期の中心となったのはシュメール人であるが、シュメール人は民族系統が不明である。
拡大地図を表示
地域的に、北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。南部の下流域であるシュメールから、上流の北部に向かって文明が広がっていった。土地が非常に肥沃で、数々の勢力の基盤となったが、森林伐採の過多などで、上流の塩気の強い土が流れてくるようになり、農地として使えなくなってしまい、衰退した。
メソポタミアは、数多くの文明の栄えた土地であり、また数多くの文明によって征服されもした。それら諸文明の中には、シュメール、バビロニア(バビロン)、アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、エジプト文明、ヒッタイト、そしてエラム古代王国がある。
チグリス・ユーフラテス両河は水源地帯の雪解けにより定期的に増水するため、運河を整備することで豊かな農業収穫が得られた。初期の開拓地や文化から始まり、最初に農業を行った文明として知られている。
暦は太陰暦を用い、1週間を7日にしたのも彼らといわれる。六十進記数法もメソポタミアで生まれたものであり、現在の時間の単位に用いられている。また、金属の鍛錬も知っていたとされている。
文字は象形文字を発展させた楔形文字を創始し、後世の西アジア諸国のさまざまな言語を表すのに利用された。楔形文字によって書かれたものとしてはハンムラビ法典がよく知られている。話していた言語は外交用語として用いられていたようで、エジプト文明の外交文書に、その言葉で書き記されたものが残っている。
ジッグラトと呼ばれる階段型ピラミッド(聖塔といわれているが詳細は不明)を中心に、巨大な都市国家を展開した。また、農耕の面でも肥沃な大地・整備された灌漑施設・高度な農耕器具により単位面積当たりの収穫量は現代と比較しても見劣りしなかったという。さらに、旧約聖書との関連も指摘されており、エデンの園はメソポタミアの都市を、バベルの塔はジッグラトを、ノアの洪水は当地で突発的に起こる洪水を元にした逸話との説がある。 そして貿易の交易範囲は広大で、エジプト文明やインダス文明との交易も予想される。
拡大地図を表示
地域的に、北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。南部の下流域であるシュメールから、上流の北部に向かって文明が広がっていった。土地が非常に肥沃で、数々の勢力の基盤となったが、森林伐採の過多などで、上流の塩気の強い土が流れてくるようになり、農地として使えなくなってしまい、衰退した。
メソポタミアは、数多くの文明の栄えた土地であり、また数多くの文明によって征服されもした。それら諸文明の中には、シュメール、バビロニア(バビロン)、アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、エジプト文明、ヒッタイト、そしてエラム古代王国がある。
チグリス・ユーフラテス両河は水源地帯の雪解けにより定期的に増水するため、運河を整備することで豊かな農業収穫が得られた。初期の開拓地や文化から始まり、最初に農業を行った文明として知られている。
暦は太陰暦を用い、1週間を7日にしたのも彼らといわれる。六十進記数法もメソポタミアで生まれたものであり、現在の時間の単位に用いられている。また、金属の鍛錬も知っていたとされている。
文字は象形文字を発展させた楔形文字を創始し、後世の西アジア諸国のさまざまな言語を表すのに利用された。楔形文字によって書かれたものとしてはハンムラビ法典がよく知られている。話していた言語は外交用語として用いられていたようで、エジプト文明の外交文書に、その言葉で書き記されたものが残っている。
ジッグラトと呼ばれる階段型ピラミッド(聖塔といわれているが詳細は不明)を中心に、巨大な都市国家を展開した。また、農耕の面でも肥沃な大地・整備された灌漑施設・高度な農耕器具により単位面積当たりの収穫量は現代と比較しても見劣りしなかったという。さらに、旧約聖書との関連も指摘されており、エデンの園はメソポタミアの都市を、バベルの塔はジッグラトを、ノアの洪水は当地で突発的に起こる洪水を元にした逸話との説がある。 そして貿易の交易範囲は広大で、エジプト文明やインダス文明との交易も予想される。