ガーナ王国
ガーナ王国は、8世紀頃から11世紀にかけて、サハラ越えの金と岩塩の隊商貿易の中継地として繁栄した黒人王国である。金や岩塩のほかにも、銅製品や馬、刀剣、衣服、装身具などの各種手工業製品の交易路を押さえ、その中継貿易の利で繁栄した。
ノク文化にはじまると考えられる西アフリカの鉄器時代前半のニジェール川流域周辺には、ニジェール=コンゴ語族に属するマンデ人によるkafuとよばれる政治的単位ないし小首長国が形成されていた。1つのkafuは、合計すると10000人?50000人の規模に達する村落の連合体であり、それぞれのkafuは、マンサと呼ばれる宗教的、世俗的権威を兼ね備えた王ないし首長によって支配されていた。ガーナ王国は、そんなkafuのうち、マンデ人の北方のソニンケ語を話す人々ソニンケ族のkafuの連合国家であった。
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ガーナ王国に関する考古学調査は、1949年から1951年にかけてフランス人、P. テモセイとR.マウニーによって行われた、ガーナ王国の首都と考えられるモーリタニア南東部のティンペドラ=ナラ街道沿いに位置するクンビ=サレーの調査が知られる。この調査成果は、1956年に発掘報告書として公刊されている。アブー=バクリは、クンビ=サレーは、イスラムの町と6マイル離れた「王宮の町」で構成されていると記述しているが、「王宮の町」については発見されていない。イスラムの町については、アブー=バクリが記述するような、集住的な石造りの建物が発見された。また北西部分には広大な墓地を伴い、アフリカでは初期の様式のモスクがあることが判明した。
これらの建物は複数階の構造を持ち、地中海周辺で見られる様式のものであった。出土した精製土器やガラス器は、北アフリカ、マグリブ地方から輸入されたものであった。クンビ=サレーの中央の通りとモスクから採取された有機物のサンプルから放射性炭素年代測定が行われ、13世紀初頭という値が得られ、11世紀後半にモロッコのムラービト朝に滅ぼされてからも町自体は2世紀近く繁栄を続けていたことが判明した。その後、セルジュ.ロベールによって、さらに下層の居住層の発掘調査が1975?76年に行われている。その調査成果は発表されていないが、予備調査の成果は、1972年に発表されている。
この調査によって得られたサンプルで、6世紀から18世紀にわたる放射性炭素年代が得られており、現にクンビ=サレーがガーナ王国時代に繁栄していたことが証明された。
ノク文化にはじまると考えられる西アフリカの鉄器時代前半のニジェール川流域周辺には、ニジェール=コンゴ語族に属するマンデ人によるkafuとよばれる政治的単位ないし小首長国が形成されていた。1つのkafuは、合計すると10000人?50000人の規模に達する村落の連合体であり、それぞれのkafuは、マンサと呼ばれる宗教的、世俗的権威を兼ね備えた王ないし首長によって支配されていた。ガーナ王国は、そんなkafuのうち、マンデ人の北方のソニンケ語を話す人々ソニンケ族のkafuの連合国家であった。
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ガーナ王国に関する考古学調査は、1949年から1951年にかけてフランス人、P. テモセイとR.マウニーによって行われた、ガーナ王国の首都と考えられるモーリタニア南東部のティンペドラ=ナラ街道沿いに位置するクンビ=サレーの調査が知られる。この調査成果は、1956年に発掘報告書として公刊されている。アブー=バクリは、クンビ=サレーは、イスラムの町と6マイル離れた「王宮の町」で構成されていると記述しているが、「王宮の町」については発見されていない。イスラムの町については、アブー=バクリが記述するような、集住的な石造りの建物が発見された。また北西部分には広大な墓地を伴い、アフリカでは初期の様式のモスクがあることが判明した。
これらの建物は複数階の構造を持ち、地中海周辺で見られる様式のものであった。出土した精製土器やガラス器は、北アフリカ、マグリブ地方から輸入されたものであった。クンビ=サレーの中央の通りとモスクから採取された有機物のサンプルから放射性炭素年代測定が行われ、13世紀初頭という値が得られ、11世紀後半にモロッコのムラービト朝に滅ぼされてからも町自体は2世紀近く繁栄を続けていたことが判明した。その後、セルジュ.ロベールによって、さらに下層の居住層の発掘調査が1975?76年に行われている。その調査成果は発表されていないが、予備調査の成果は、1972年に発表されている。
この調査によって得られたサンプルで、6世紀から18世紀にわたる放射性炭素年代が得られており、現にクンビ=サレーがガーナ王国時代に繁栄していたことが証明された。