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マジャパヒト王国

マジャパヒト王国は13世紀末から16世紀始め頃までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国。最盛期にはインドネシア諸島全域とマレー半島まで勢力下に置いた。なお、表記に「マジャパイト」と書くこともある。


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1293年元王朝は朝貢を拒否したジャワのシンガサリ王国に遠征軍を派遣したが、シンガサリ王クルタナガラはクディリ王家の末裔と呼ばれる当地の領主ジャヤカトワンの反乱によって殺されていた。クルタナガラ王の娘婿であったウィジャヤはジャワ北岸のトゥバンに上陸した元軍と同盟して、ジャヤカトワンが乗っ取ったシンガサリ王国を滅ぼし、さらに元軍をジャワから追い出してマジャパヒト王国を建国した。ウィジャヤの即位名をクルタラジャサ=ジャヤワルダナという。王国の都はジャワ島東部プランタス川流域のマジャパヒトに置かれた。

マジャパヒトと元朝の関係は当然悪化したが、フビライが死去すると大きく好転し、1295年から1332年の間に10回の朝貢が行われた。

1328年にジャヤナガラが死去すると後継男子がいなかったので、故クルタナガラ王の末娘ラージャパトニに後を継がせたが、ラージャパトニは熱心な仏教徒で出家していたので、娘のトリブワナーを摂政として政務を取らせた。この頃、親衛隊長から宰相に抜擢されたガジャ・マダがマジャパヒト王国を最盛期に導くことになる。1350年ラージャパトニが死去するとトリブワナーの息子ハヤム・ウルクがラージャサナガラとして即位した。



宰相ガジャ・マダは1342年にバリ島に侵攻したのを皮切りに、インドネシア各地に対する遠征を行い、スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を滅ぼして南海の海上交易ルートを掌中に収めた。

最盛期の支配領域はマレー半島のパタニやトゥマシク(シンガポール)、カリマンタン島に及び、東西交通の要衝であるマラッカ海峡とスンダ海峡を制圧した。またタイのアユタヤ王朝やカンボジア、ベトナムとも友好関係を持った。

中国の明王朝は15世紀前半鄭和艦隊を7回にわたって南海に派遣し、ジャワのマジャパヒト王国にも来航した。鄭和艦隊の保護下にマラッカ王国が成立すると、南海貿易の中心はマラッカに移り、マジャパヒト王国はこの趨勢を食い止めることができなかった。また15世紀以降はイスラム教が浸透して、マラッカ王国がイスラム化したのを始め、ジャワ北岸のトバン、グルシクなどにもイスラム教国が成立する。

一方、マジャパヒトの宮廷は東王宮と西王宮に別れ、次第に勢力を争うようになり、16世紀に始めにドゥマク王国を中心としたイスラム勢力に滅ぼされたとされる。

原初同盟の成立

原初同盟の成立(1291年から1523年)は、伝説では原初同盟の結成は「リュトリの野」で行われたとされている。神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の死後、ハプスブルク家のアルブレヒトの息子フリードリヒがバイエルン公ルートヴィヒと帝位をめぐって争ったが、アルブレヒトを敵視していた原初同盟はバイエルン公を支持した。これに怒ったフリードリヒはハプスブルク家の精鋭を揃えてスイス領内に侵攻したが、1315年のモルガルテンの戦い、1386年のゼンパッハの戦いでスイス農民軍に打ち破られた。こうしてスイスからハプスブルク家の影響力が排除された。

このハプスブルク家との死闘のさなかの1353年に最初の3州に加えてグラールス州、ツーク州の両州とルツェルン、チューリッヒ、ベルンの各都市が原初同盟と個々に同盟を結ぶという形で同盟に加わった。こうしてできたのが「八州同盟」である。1440年代にトッゲンブルク伯領をめぐる争いによってチューリッヒが一時的に諸州と争ったことはあったにしろ、盟約者団は連合によって力を結集することでその地歩を築き、周辺諸国の干渉を排除していった。特に、1470年代にブルゴーニュ戦争でスイス領内へ侵攻したブルゴーニュ公国のシャルル突進公の軍勢を破ったことと、スイス人傭兵がヨーロッパ全域の戦場で活躍するようになったことで、スイスの国際的な地位は向上した。

伝統的にスイスの諸州の表記は連邦への加入順にされている。初めに原初同盟の最初の8つの州と都市があげられ、1481年以降に加入した州が時代順にならぶ。1499年に皇帝マクシミリアン1世がスイスを勢力下に収めようと侵入したがスイス軍の前に敗れた(シュヴァーベン戦争)。これによってスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取った。1506年には教皇ユリウス2世が近衛兵として初めてスイス人傭兵を採用している。スイス人傭兵というものが存在しなくなった現在でも、教皇の衛兵は伝統的にスイス人が務めている。

この頃、スイスの軍勢は無敵を誇り、支配地域の拡張を目指してイタリア戦争などの周辺地域の紛争に干渉したが、1515年のマリニャーノの戦いでフランソワ1世率いるフランス軍に大敗を喫したことで、拡張政策の放棄を余儀なくされた。

スイスの地図

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