世界史

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ドイツにおける宗教改革

ルターに始まる宗教改革の萌芽は、その後ドイツから各地に拡大し、ローマ教皇の絶対主義に嫌悪していた周辺の諸侯の支持をも得て、カトリック内部の宗教改革運動から、ローマ教皇の影響からの政治・経済的な独立運動へと発展して行った。

カルヴァンの貢献が、礼拝様式、教会制度の改革にも及んだことにあるとすれば、ルターの貢献は、聖書のドイツ語訳にある。当時、ローマ・カソリック教会では、ラテン語がミサにおいて使用され、一般大衆には理解できなかった。ルターは聖書を、学者の手から一般人の手に取り戻したのである。また、音楽を好むルターは賛美歌の作詞・作曲をしたことにおいても知られている。


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ドイツ、フランスなどではカトリック勢力とプロテスタント勢力が相争い、凄惨な闘争を繰り広げた。

・カッペル戦争(スイス、1529年・1531年)
・シュマルカルデン戦争(ドイツ、1546-1547年)
・ユグノー戦争(フランス、1562-1598年)
・三十年戦争(ドイツ、1618-1648年)
・オランダ独立戦争


カトリック内部でも改革の必要性は認識されていたが、プロテスタント運動が引き金となり、カトリック教会ではトリエント公会議を開催した。また、他を非難するよりまず自ら戒め、規律正しい宗教生活しようとイグナチウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらが中心となりイエズス会が設立された。イエズス会はその後、キリスト教の大分裂を防ぐべく欧州各国に勢力を伸ばし、非ヨーロッパ諸国への布教活動を行った。

1517年、教会による免罪符の販売に対して、ヴィッテンベルク大学神学部教授のマルティン・ルターが、95ヶ条の論題を示して批判を行った。まだ、この段階ではローマ教皇やカトリック教会そのものの批判にまでは至ることはなかったが、このルターの言動は大きな共感を持って受け入れられたため、ドイツ内に大きな波紋を生みだすことになった。事態の沈静化を図ったカトリック側は、論客ヨハン・エックをライプツィヒに送り、1519年にルターと討論させた。この場においてルターは、さらに踏み込んで教皇、カトリックに対する批判を示すことになった。

ルターはヴァルトブルク城の一室で新約聖書を翻訳した。一方、当時はハプスブルク家が婚姻政策を通じてヨーロッパに広大な所領を有し、神聖ローマ皇帝位を世襲化させ、カトリック理念のもとで一元的なヨーロッパ支配を試みていた。こうした矢先に起こったルターの行動は、一元的な帝国支配を揺るがせる大きな障害となった。1521年、ルターはヴォルムス帝国議会において自説の撤回を求められたが、これを拒んで帝国追放刑を受けた。この際、反ハプスブルク、反教皇の立場をとる有力諸侯ザクセン公フリードリヒがルターをかくまったため、ルターは彼の所領内にあるヴァルトブルク城で、新約聖書のドイツ語訳に着手することになった。

既にルター以前より聖書のドイツ語訳は試みられていたが、彼の翻訳した聖書が定本となって、当時発達しつつあった印刷技術にも支えられて各地に流通していった。このことは、中世カトリック世界の権威的言語であったラテン語にかわり、各国の言語に聖書が翻訳される潮流を加速させることになり、文化的な一元性が解体され、各国の「国語」が形成される端緒となるものでもあった。