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ウイグルの歴史

ウイグルは、古代北アジアで活動したテュルク系遊牧民。この民族名称を自称する人々はのちに中央アジアに移動し、15世紀頃まで存続していた。また、この民族名は、20世紀に東トルキスタン民族運動において、テュルク系のオアシス定住民が、1934年に古代北アジア遊牧民の呼称を借りて、自分たちの呼称として採用し、現在に至っている。


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ウイグルの名が歴史に登場したのは7世紀以前に遡り、中国魏晋南北朝時代の記録に残る高車の一部族、袁紇氏が史料上の初見である。

7世紀から8世紀、突厥と唐が交互にモンゴル高原を支配した時代には、ウイグルは高原北部のセレンゲ川流域に遊牧し、9部族からなる連合体を形成する部族のひとつであった。この集団は中国史料には「九姓鉄勒」と呼ばれ、その支配的部族の名を取ってウイグルとも称された。漢文史料に見える回鶻、回紇、廻紇などの字は、ウイグルの音写である。

ウイグル部族を中心とするトクズ・オグズ部族連合は、745年に突厥第二可汗国を滅ぼしてモンゴル高原に遊牧ウイグル帝国を打ち立て、北方に一大勢力を築き上げた。しかし、この帝国は100年あまりで崩壊した。

遊牧ウイグル帝国崩壊に際し、ウイグル勢力の一部は中国の北辺や中央アジアの天山山脈北東麓に移住した。現在、中華人民共和国領の甘粛省の西部に居住するテュルク系民族のユグル族は、このとき甘粛に移住した古代ウイグルの末裔とされている。

中央アジアに入ったウイグル人はこの地で定住民化して天山ウイグル王国を築き、「ウイグル」とか「トゥグズグズ」と呼ばれた。彼らは遊牧の時代からソグド人の影響でマニ教を尊崇したが、中央アジアに入った者は仏教も信仰し、イスラム教勢力と接する中央アジアの一角で独自の文化を築き上げた。

14世紀にモンゴル帝国が勃興するとウイグル王国はモンゴルに服属してその下で繁栄したが、15世紀になると元とチャガタイ・ハン国の間の最前線となって次第にチャガタイ系のイスラム教を信奉するテュルク系の人々の圧迫を受け、やがてイスラム化の波に飲み込まれたウイグル文化は消滅した。

その後、20世紀に至って、かつての天山ウイグル王国と、カラ・ハン朝の支配していた地域にあたる東トルキスタンのテュルク系言語を話すイスラム教徒のオアシス定住民たちの中から、その統一的な民族名称として滅び去ったウイグルの名が再び見出され、1935年に民族名称として採用された。この地域が中華人民共和国に統合された後、彼らの民族名称は中央政府によってウイグル族と公式に定められ、現在に至っている。